◆真田幸村(城田優):天才軍師。若い頃人質として上杉家へ。兼続に温かい待遇を受け感激し、兄と慕う。
NHK大河ドラマ『天地人』第22回「真田幸村参上」
真田信繁 (さなだのぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。永禄10年(1567年)とされる生年は没年の49歳から逆算されたもので、月日は不明。
武田信玄の家臣であった真田幸隆の孫。大坂の役で活躍。特に大坂夏の陣では、寡兵を持って徳川本陣まで攻め込み、徳川家康を後一歩のところまで追いつめたとされる。江戸期以降、講談や小説などで真田十勇士を従えて大敵徳川に挑む天才軍師真田幸村(さなだゆきむら)として取り上げられ、広く一般に知られることになった
講談などの影響で「真田幸村(さなだゆきむら)」の名で広く知られているが、信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で「幸村」の名が使われているものは存在しない。従って歴史上の人物の名としては「信繁」が正しい。講談などで語られる「幸村」の活躍に関しては後述する真田幸村の節を参照のこと。
「幸村」の初出は江戸時代の寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』にあり、その本が爆発的に売れたため、「幸村」とすることのほうが一般的となり、後には兄・信之の子孫である松代藩の史書にまで「幸村」が採用された。
新井白石著の藩翰譜に、幸村と記載されている。
「幸」は真田家(厳密には真田家の主家にあたる海野家)の通字であり、「村」については信繁の姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説などがある。
「幸村」という名は信繁の死後100年以内で広まっているため、真田昌幸の死後に昌幸の片諱を継承して実際に「幸村」と名乗ったのではないかとの推測もある。ただし、可能性としてありうるものの「幸村」という名が記された史料が見つかっておらず、現状では立証が不可能である。
夏の陣での死の二ヶ月前に「幸村」と改名したため、という説もあるが史料に残っていない。大阪冬の陣と大阪夏の陣の半ばの慶長20年2月に叔父にあてた手紙や、兄・姉にあてた手紙にも信繁の名がある。
真田信繁 - Wikipedia
. 家康が最も恐れた男 真田幸村 - Wikipedia
. 真田幸村の生涯
. 日本一の兵 真田幸村 / 真田氏の館 三代録
. 真田幸村(城田優) - @niftyテレビ番組表「天地人」特集
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